大久野島で見た忘れられない光景——水を求めて走ってくるうさぎたち

フェリーが島に着いた瞬間、それは始まった。

桟橋に降り立ち、リュックからペットボトルを取り出そうとした——ただそれだけのことだった。カシャ、というキャップの音。その小さな音に反応して、茂みの奥から、砂利道の脇から、芝生の影から、十数羽のうさぎたちが一斉にこちらへ走ってきた。

その光景を、私は一生忘れないだろう。

パンフレットには載っていない「必死さ」

大久野島——通称「うさぎ島」。メディアやSNSでは「かわいいうさぎに囲まれる夢の島」として紹介されることが多い。確かに、もふもふのうさぎたちが足元に集まってくる光景は愛らしい。しかし、実際に島を訪れた人が最も衝撃を受けるのは、その「かわいさ」ではなく「必死さ」だ。

うさぎたちは、水の匂いを嗅ぎつけると目の色を変える。ペットボトルのキャップを開ける音、ビニール袋のガサガサという音——食べ物や水を連想させるあらゆる音に、全速力で反応する。その走り方は、ペットショップで見かけるうさぎの穏やかな動きとはまるで違う。生きるために走っている。その表情は真剣そのものだ。

観光パンフレットには「うさぎと触れ合える島」と書かれている。だが「触れ合い」という言葉の裏にあるのは、水と食料を求めて人間に駆け寄らざるを得ないうさぎたちの現実だ。

水を飲む姿の美しさと切なさ

私がペットボトルのキャップに水を注ぐと、一羽のうさぎが小さな舌で必死に水を舐め始めた。その姿は、驚くほど美しかった。長いまつ毛の下で目を細め、小さな口を一生懸命に動かす。水滴がひげを伝い、陽の光にきらりと光る。

だが同時に、胸を締めつけられるような切なさがあった。ペットボトルのキャップ一杯分の水を、こんなにも必死に飲んでいる。この子は、いったいどれくらい水を飲んでいなかったのだろう。

島には水飲み場がほとんどない。水道設備は人間用の施設に限られており、うさぎたちが自由に飲める水源は極めて限られている。雨水や露を舐めて凌いでいる子もいるが、それだけでは到底足りない。特に夏場は深刻だ。

夏の脱水——命の危機と隣り合わせ

大久野島の夏は過酷だ。瀬戸内海の湿った暑さが島全体を覆い、気温は35度を超えることもある。コンクリートの道路は焼けるように熱くなり、日陰を求めてうさぎたちは建物の影や草むらに身を潜める。

しかし、身を隠したところで水がなければ意味がない。うさぎは体温調節が苦手な動物だ。犬のようにパンティング(口を開けてハァハァすること)で体温を下げることもできず、汗腺もほとんどない。唯一の体温調節器官は、あの大きな耳だ。耳の血管を拡張させて放熱するが、気温が体温に近い真夏には、それすらも追いつかない。

脱水症状を起こしたうさぎは、動きが鈍くなり、耳が熱くなり、やがて横たわったまま動けなくなる。毎年夏になると、島のあちこちでぐったりしている子が見られる。中には、そのまま命を落とす子もいる。

観光客が多い夏休みシーズンでさえ、すべてのうさぎに水が行き渡るわけではない。島には約500〜600羽のうさぎがいるとされるが、観光客が立ち寄るのは港周辺やホテル付近が中心だ。島の反対側や山の中腹に暮らすうさぎたちには、人間の手が届かないことも多い。

見落とされがちな「水場の重要性」

ボランティア団体が設置した水場がいくつかあるが、その数は十分とは言えない。水場は定期的に補充しなければすぐに空になる。夏場は蒸発も早く、朝に満タンにしても昼過ぎには空っぽということも珍しくない。

水場のそばに集まるうさぎたちの姿を見ると、まるでオアシスに集まる砂漠の動物たちのようだ。ここが「楽園」と呼ばれる島であることを、一瞬忘れてしまう。

人間に依存せざるを得ない環境

大久野島のうさぎたちは、もともと野生のうさぎではない。人間が持ち込み、人間が放し、人間が増やした。だからこそ、彼らは人間なしでは生きていけない存在になっている。

野生のうさぎであれば、水源のある場所に自分で移動する。食料が不足すれば、生息域を変える。しかし、島のうさぎたちにはその選択肢がない。周囲は海で囲まれ、逃げ場はない。島の中で、人間が来てくれるのを待つしかないのだ。

これは「かわいい」で片づけていい問題ではない。人間が作り出した環境に、うさぎたちは閉じ込められている。そして、その環境の中で生き延びるために、人間に依存するしかない。水の音に反応して走ってくるあの姿は、「人懐っこい」のではない。「生きるために必死」なのだ。

「かわいい」の裏にある「SOS」

SNSに投稿される大久野島の写真は、どれも微笑ましいものばかりだ。うさぎに囲まれて座っている観光客、手のひらからペレットを食べるうさぎ、ころんと転がって寝ているうさぎ。

だが、その「かわいい」写真の裏側には、声なきSOSがある。走ってくるうさぎは「遊んでほしい」のではなく「水をください」と言っている。足元にまとわりつくうさぎは「撫でてほしい」のではなく「食べ物をください」と言っている。

もちろん、人間に慣れていて純粋に甘えてくる子もいる。だが、多くのうさぎたちにとって、人間に近づくことは生存戦略そのものだ。人間=食料と水の供給源。それが、大久野島のうさぎたちが学んだ「生きるための知恵」なのだ。

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この光景を見た人は、必ず何かしたくなる

大久野島を訪れた人の多くが、同じことを言う。「何かしたい」「自分にできることはないか」と。

水を求めて走ってくるうさぎたちの姿を目の当たりにすると、「かわいい」という感情だけでは済まなくなる。胸の奥に、じわりとした痛みが広がる。そして、「次に来るときは、もっとたくさん水を持ってこよう」「何か自分にもできることがあるはずだ」という気持ちが芽生える。

その気持ちこそが、大久野島のうさぎたちを本当に救う力になる。

あなたにできること

島を訪れるとき、ペットボトルの水を多めに持っていくだけでも、うさぎたちの命を救うことにつながる。使い捨ての容器に水を入れて、うさぎたちの近くに置く——それだけで、一日を生き延びる子がいるかもしれない。

そして、もし「もっと何かしたい」と思ったなら、ボランティア活動に参加してほしい。定期的な水場の設置・補充、食料の配布、弱っている子の保護——個人の善意だけでは限界がある。組織的に、継続的に支援することで、初めて「楽園」は本当の楽園になれる。

忘れられない光景を、変える力に

あの日、水を求めて走ってきたうさぎたちの姿は、今でも私の目に焼きついている。あの必死な瞳、小さな足音、ペットボトルのキャップから水を舐める一生懸命な姿。

あの光景を「かわいかった」という思い出で終わらせたくない。あの光景を見たからこそ、何かを変えたい。

大久野島のうさぎたちは、声を出して助けを求めることはできない。だが、あの走ってくる姿が、何よりも雄弁に語っている。「水をください」「助けてください」と。

その声に応えるかどうかは、私たち一人ひとりにかかっている。

🐰 あなたの1回の訪問が、うさぎの命を救います

大久野島を訪れたら、SOSマップを開いて
水が足りないエリアを確認し、水やり報告をしてください。

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